被災した犬たち。
震災から丸6年。
毎年追悼イベントが行われるこの時期になると思うことがあります。
そして年月が経つにつれて、よりその思いは強くなっているのを感じます。
あの頃、福島や仙台の被災犬や飼い主さんたちのために何時間と車を走らせ支援に走り、そこで見てきた物、体験してきたこと、感じてきたこと。。。
じゃあ私の住むこの青森の地で同じようなことが起こったとき、私たちはそこからなにを活かすことができるのか、活かさなければならないのか。。。
そんなことを毎年のように感じています。
まだまだ足りない。。。
■被災地支援に入っていたあの頃。。。
あの頃はドッグガーデン青森でストアマネージャーを任されていました。
東日本大震災が起こり青森もライフラインが整うまでに1週間程度かかったでしょうか?
すぐにドッグガーデンにも被災犬が避難しにやってきました。
バーニーズ、ダックス、シベリアンハスキー。。。数頭ではありましたが、飼い主さんのご都合で青森に避難してきたものの、ペット可の住まいがすぐに見つからずに一時的なお預かりとなった子たちや、仙台に戻れるまでの期間一時預かりを希望した子などお預かりのご希望がありました。
その頃はツイッターで被災地の動物たちをとりまくいろいろな情報も溢れていて、私は日々スマホを見つめながらもどかしさを感じていたのでした。
ドッグガーデンのスタッフ、お客様までも「なにかせずにはいられない!」「なにかできることはないか!」とそんな思いが大きくなっていました。
「被災地支援に行きたい」その提案を当時の会社のオーナーは快く許可してくれて、当時避難者の方への様々な物資が行き届かない中、避難動物たちへのお世話に必要な物資をドッグガーデンで募ったのでした。
自力で向かおうとしていた私たちに、「被災地まで車を出すよ!運転もする!」と申し出てくださったお客様もいらして、ご厚意に甘え何度も被災地まで車を出していただいたのでした。
青森の飼い主さんたちの想いがあつまり、毎回たくさんの救援物資をお届けすることができたのでした。
仙台や福島で物資を届ける支援の他に、被災動物たちが保護されているシェルターではお散歩やお手入れなどのお世話も、地域ボランティアさんと一緒にさせていただきました。
動物の扱いに慣れているドッグトレーナーはとても重宝されたのを覚えています。
福島の状況はとても過酷なものでした。
数ヶ月爪切りをされないままにごはんと排泄のお世話だけのギリギリの生活。
次にいつ来れるかわからないからと、その時何十頭の爪切りをしたのか、もう覚えていません。
そして福島のシェルターにいた多くの子たちは、未避妊・未去勢の子たち。
フィラリア陽性も多かったと聞いています。
ほとんどが中~大型犬で、純血種はほとんどいませんでした。
フィラリア予防や、避妊・去勢手術の情報も行き届きにくい地域だったのだと思います。
そのせいもあり、保護されたシェルター内での妊娠出産は2時被害としてその後問題となっていました。
何度か足を運んで物資を運びながらシェルターでのお世話に入りましたが、シェルター内でのお世話中の事故をきっかけに、支援にいくこともなくなってしまいました。
それでもずっと気になっていて、今後私たちはどうしていくことが正しいのだろうと考え続けました。
そして当たり前のことに気づいたのです。
■もし青森で同じことが起こったときに。。。
私たちにできることは、しなければいけないことは。。。
被災地の犬猫や飼い主さんのことを思い続けると同時に、地元青森のことを考えていました。
もし青森で同じことが起こったときに、私たちは青森の犬や猫たち、飼い主さんたちは困らずに避難して生活することが出来るだろうか?
そのために必要な知識や技術を、私たちは飼い主さんに十分に伝えることができているだろうか?
このことを考えると、やるせない気持ちになるのでした。
そして6年経った今もそれは変わらず、この6年間で青森の飼い主さんたちにどこまで必要な情報を届けられているかと、以前よりもその必要性を感じています。
避妊・去勢手術、迷子札、マイクロチップ、クレートレスト(待機)、係留に慣らすこと、他人に慣らすこと、他犬に慣らすこと、お手入れに慣らすこと、拘束に慣らすこと、飼い主と一時的に離れても落ち着いていられること。。。
まだまだたくさんの伝えたい情報がありますが、まずは少しでも愛犬との生活を良くするためのしつけトレーニングや犬育てに興味を持ってもらえるよう広く伝えていきたいと思っています。
この6年を思うとどれだけやってこれたかと、すこし落ち込むところもあるのですが、微力ではあっても無力ではない。
これからも必要な情報を発信して届けていきたいと思うのでした。